toggle
2020-05-08
最終更新日:2020/05/11

長澤まさみ|父親は元サッカー選手で兄弟ははユニクロ勤務?母親や家族のエピソードも!

映画『キングダム』に出演し、2020年に日本アカデミー賞最優秀助演女優賞を受賞し、再び注目を浴びている長澤まさみさん。

今回は、長澤まさみさんの家族についてご紹介いたします。

長澤まさみの家族構成と出身

長澤まさみさんは両親と兄の4人家族で静岡県磐田市で生まれ育ちました。

ネット上の情報によると、長澤まさみさんは、静岡県磐田市立富士見小学校の出身のようなので、実家はJR磐田駅か御厨駅が最寄駅のようです。

磐田市

長澤まさみさんは両親には不自由なく育ててもらい、とても感謝しているといい、長澤家はとても仲が良いそうですよ。

長澤まさみさんは、ひょうきんで人を笑わせるのが好きな性格なのだそうですが、家族のなかではムードメーカー的存在だそうです。

長澤まさみさんは、いつかは父親と母親のような存在になり、子どもをちゃんと育てられる、温かい家庭を持ちたいと考えているようですよ。

それでは、家族一人一人についてご紹介しますね。

長澤まさみの父親

長澤まさみさんの父親の名前は和明(かずあき)といい、1958年2月4日に、静岡県清水市(現・静岡市清水区)で生まれ育ちました。

こちらが父親の写真ですが、とてもダンディーで素敵ですよね。

長澤まさみさんと父親はすごく仲良しでで、父親が東京に来た時はよく一緒にご飯を食べにいくようです。(2009.6)

普段は、真剣な話をするのはどうしても照れてしまうので、くだらない話ばかりしているそう。

長澤まさみさんが小学校4年生くらいのときは、「どこどこ行って」と父親をアッシーのように使っていたのだとか。(笑)

父親は、あまり怒ることはなく優しく、あまりしゃべらない人で、「何事も一生懸命頑張れ」というタイプの人だそうです。

頑張って仕事に取り組む長澤まさみさんを父親は、常に温かく見守ってくれているようです。

長澤まさみの父親は元サッカー選手

長澤まさみさんの父親は、元サッカー日本代表MFを勤めていました。

静岡県立清水東高校在学中は高校選手権準優勝を経験し、東京農業大学を卒業後は、ヤマハ発動機サッカー部(現:ジュビロ磐田)に入部しました。

1978年からは日本代表に選出されましたが、同じポジションに国際Aマッチで6試合連続ゴールという日本代表連続得点記録を収めた木村和司選手がいたため9試合出場に留まり、その後は怪我のため30歳で引退しています。

引退後はジュビロ磐田の初代監督と勤め、1993年のJリーグ昇格などの実績を残しています。

2005年にその後も全国のクラブチームや高校で監督を勤めた後、2015年に母校の静岡県立清水東高等学校サッカー部のヘッドコーチを3年間務め、2017年のシーズン終了後に退任したようです

父親が監督を務めていた常葉学園橘高等学校のサッカー部が2005年に全国高等学校サッカー選手権大会に初出場した際には、長澤まさみさんがサッカー部員へミサンガを送ったそうです。

1回戦で負けてしまったようですが、部員は喜んだでしょうね〜。

長澤まさみはサッカー嫌い

そんなサッカー監督を勤めてきた父親を持つ長澤まさみさんは、サッカーは嫌いだとインタビューで話しています。(2000)

なんでも「足で蹴るところ」が嫌で、「つまんない」のだとか。

他にも、長澤まさみさんが小さいころ、父親が監督してるチームの試合を見に行ったところ、普段の優しい父親とは違う、怒鳴りまくる怖い父親の姿を見てしまい、サッカー嫌いになったという噂も。

長澤まさみの父親は現在みかん農家

長澤まさみさんの父親の実家はみかん農家で、祖母が梨やみかんを送ってくれるのだそうですが、

父親も現在は農家を引き継いだのか、ポンカンなどを栽培していると、父親の知り合いの方がブログで紹介していました。

長澤まさみさんは、静岡みかんの素朴な味が好きなのだそうですよ。

長澤家とゴン中山は家族ぐるみの仲

ゴン中山選手は、長澤まさみさんの父親が1991年から1993年までジュビロ磐田で監督を勤めたときの教え子で、一緒に食事に行くなど家族ぐるみの付き合だそうです。

長澤まさみさんが小学1年生の時には、ゴン中山選手から冗談でプロポーズされるなど仲の良い関係だったそうです。

また、長澤まさみさんが芸能界デビューしたのは、中山夫妻が導いてくれたともいわれています。

長澤まさみさんは、幼いころから背が高く「モデルになれるんじゃない?」と周囲からいわれ、

「将来は女優になりたい」という意識が高まっていることを知った長澤まさみさんの母親は、ゴン中山さんの妻で女優の生田智子さんに相談をしたそうです。

東宝芸能に所属する生田智子さんは、『東宝シンデレラオーディション』を受けるよう勧めたところ、長澤まさみさんは3万5153人の中から当時史上最年少の12歳でグランプリを獲得し、見事に芸能界入りを果たしています。

現在も同じ事務所に所属する2人は、ドラマ『高校入試』(2012)で共演を果たしています。

長澤まさみさんは、「ゴンさんが夢を見させてくれたから自分も芸能界に入ったのかなって思うと、導いてくれた人なのかなって感謝してます」と話しています。

長澤まさみの母親

長澤まさみの母親の職業はモデル?

情報源がわからないのですが、ネットの情報によると、長澤まさみさんの母親は下着メーカーの代理店に勤務していたようです。

バラエティ番組『笑う犬』(1998-2003)が放送されていた時期には、ネプチューンの原田泰造さんと堀内健さんが扮した人気キャラクター『テリーとドリー』が描かれたメモ帳の表紙を貼る内職をしていたそうですよ。

まさか長澤まさみさんの母親が作っていたなんて、出演者も驚くでしょうね。

母親はスタイル抜群で、身長は長澤まさみさんとほぼ同じで168cm程度だそうですが、脚は母親の方が長いそうです。

長澤まさみさんの母親を検索すると、「モデル」というワードがセットで表示されますが、モデルをやっていてもおかしくない体型ですよね。

少し見づらいのですが、こちらは長澤まさみさんが描いた母親の似顔絵です。

短めの髪型でメガネをかけているようですね。長澤まさん曰く、髪の毛の量が似ているそうです。

長澤まさみと母親のオーディション裏話

長澤まさみさんが『東宝シンデレラオーディション』に応募したきっかけは、先ほど述べたように生田智子さんの紹介でもあるそうですが、母親とその友人が優勝賞金100万円に惹かれたからでもあったそうです。

提出した履歴書は母親が書いたのですが、特技の欄に勝手に“ジャズダンス”と書いたそうです。

オーディションの自己アピールの時に審査員から「踊ってみて」と言われたそうですが、「自信もないし、特技じゃねぇ!!」と伝え、踊らなかったのだとか。

素直に気持ちを伝えたことも合格に繋がったのかもしれませんね。笑

長澤まさみと母親のエピソード

長澤まさみさんは、子供の頃から年上の人と話をするのが好きで、母親の友達の家に遊びに行くと、お茶を飲みながら、母親達の会話に入っていたそうです。

想像すると、微笑ましいですね。

過去一番、母親から怒られたのは、学生時代に長澤まさみさんが一人暮らしをして洗濯物をためすぎていたところ、押し入れに隠していた洗濯物が見つかった時だそうです。

ロッテ・ガーナの母の日バージョンのCMでは、感謝の気持ちをストレートに伝えている長澤まさみさんですが、母親からは「普段もあれくらい素直になって」と言われたそうです。

長澤まさみさんは、母親と会うと甘えてしまい、喧嘩になることもあるのだとか。

長澤まさみさんは、ひとりで頑張ってしまうところはあるそうなのですが、母親には「いつも強くいる必要はないんだよ」と言われ、

人との関係性の中では相手に合わせたり寄り添って、自分をゆだねるということもときには必要だと思えたそうですよ。

母親はよく東京に遊びに来るのだそうですが、離れて暮らしていても、母親とはとても良い関係を築けているのですね。

長澤まさみの兄弟(兄)はユニクロ勤め?

長澤まさみさんは兄との2人兄弟で、兄の名前は竜太といいます。

こちらの写真の右側がお兄さんです。

子供の頃は兄と兄弟喧嘩をよくしたそうですが、口喧嘩では長澤まさみさんがたいてい勝っていたそうですよ

身長はなんと192cmあるイケメンだそうですよ。

長澤まさみさんの父親も身長が177cmあるそうなので、家族全員長身なのですね。

Twitterの一般人の投稿によると、長澤まさみさんの兄はユニクロでアルバイトをしていたようです。

今は何をしているのかわかりませんが、とにかく芸能界でも十分やっていけそうな外見なのでしょうね。

今回は、長澤まさみさんの家族についてご紹介いたしました。参考になることがあれば、幸いです。

長澤まさみさんの恋愛事情が気になる方はこちらもどうぞ!

関連記事