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2019-09-05
最終更新日:2020/05/20

仲野太賀|父親・中野英雄との仲は?改名した本当の理由が面白い!

現在NHK大河ドラマ『いだてん』で好演の仲野太賀さん。

出演映画はこの2年でなんと10本以上という、注目を集める若手俳優の一人です。

今回は、仲野太賀さんのプロフィールや芸能一家だという家族についてご紹介します。

仲野太賀のプロフィール

本名    中野 太賀

生年月日  1993年2月7日

出身地   東京都

身長    168cm

血液型   A型

兄弟    兄

事務所   スターダストプロモーション

学歴    日出高校芸能コース

趣味    カメラ

特技    ドラム・ギター・ものまね

 

高校時代は、芸能活動に打ち込んでいたため、部活動はしていませんが、同級生の染谷将太さんと映画づくりをして過ごしていたそうですよ。

 

趣味は、小学生から始めたカメラです。仲野太賀さんは、地元の親友の家が写真屋を営んでおり、そこでよく遊んでいたそうです。

周りにいる大人も写真屋で働いていたことから、カメラという道具が大人の道具のようなイメージがあり、カメラがほしいという気持ちが小学生くらいのときに芽生えて、お年玉でデジタルカメラを買ったのが最初だそうです。

ポートレートを撮ることが好きで、友達を連れて出かけて撮影することもあるそうです。

雑誌『CUT』2017年6月号では、親友の菅田将暉を撮影した写真が掲載され、カメラマンデビューを果たしています。菅田将暉さんを撮るのは楽しいのだそうでうすよ。

 

菅田将暉とバンドを組んでいて、仲野太賀さんが担当するドラム・ギターは特技でもあります。

ドラマ『今日から俺は!!』のオープニングテーマでドラムを演奏したり、映画『南瓜とマヨネーズ』の舞台あいさつでは、自前のアコースティックギターで弾き語りも行ったそうですよ。

ものまねも特技で、小学2年生の頃ファンであった、後藤真希の物まねができるそうです。

 

よく聴くミュージシャンは、「銀杏BOYZ」と「くるり」、「ナンバーガール」で、

峯田和伸さん(銀杏BOYZ)と岸田繁さん(くるり)と向井秀徳さん(ナンバーガール)の3人は、仲野太賀さんにとって憧れの存在だそうです。

 

仲野太賀さんにとって至福の時は、寝ている時で、MAXの睡眠時間はなんと19時間というくらいいくらでも寝れるそうです。

 よく見る夢は、寝坊する夢だそうです。

 

チャームポイントは、いい生え方をしているというヒゲと、ボディーラインの割には太めで逞しく見える首だそうです。

確かに、首回りがしっかりしていますよね。

仲野太賀が芸能界に入ったきっかけとこれまで

仲野太賀さんは、小さい頃から映画やドラマを見るのが好きで、よく登場人物のセリフを真似したり、ドラマのシーンを再現して遊んでいたそうです。

山田孝之に憧れて見ていたドラマ『ウォーターボーイズ』に夢中になり、夏休みに市民プールでシンクロをしてみますが、

「このドキドキはなんか違うぞ、これはシンクロにじゃなくて俳優に、演じることに向けた方がいいんじゃないか?

と考え、俳優を目指し映画のオーディションを受け、2006年13歳の時に芸能界入りしドラマ『新宿の母物語』で俳優デビューしました。

 

2007年にNHK大河ドラマに初出演し、2008年には映画『那須少年記』ではオーディションを経て主演に抜擢されるなど、字面を見れば順調に見えますが、デビュー後10年ほどは辛い時期を過ごしました。

高校時代は、学園ものの端っこにいる役などばかりで、何かには出てるが、外に出ても誰からも認識されていない自分は俳優と言えるのかと、鬱屈とした気持ちを抱いていたそうです。

そんな時、仲野太賀さんは、いろいろな作品を観たり、沢山の人と会って話を聞いて、どういう流れがあって今の映画業界が成り立っているのかを自分なりに勉強したり、監督についても、それぞれの人の特徴などをとにかくリサーチしたそうですよ。

ただ闇雲に何でもかんでも一生懸命やるのではなく、分布図をつくった上で、自分はどのポジションに行きたいのか戦略を立てることから始めたとのこと。

10代の若さでここまで自分と向き合い考え抜くなんて、なかなかできないことですよね。

そこから徐々に風向きは変わり、21歳で受賞した『TAMA映画賞最優秀新進男優賞』では、「若くして名優の佇まいを感じさせる」と評されました。

2016年には、宮藤官九郎脚本のドラマ『ゆとりですがなにか』に出演し、一躍脚光を浴び、

2017年には『ほとりの朔子』『男子高校生の日常』『人狼ゲーム』での演技が認められて、第38回ヨコハマ映画祭にて最優秀新人賞を受賞しています。

仲野太賀さんにとって、悩んだ時間は無駄ではなかったんですね。

 

第69回カンヌ国際映画祭「ある視点」部門で最高賞に次ぐ審査員賞を受賞した『淵に立つ』など、これまで4本の深田晃司監督の作品に出演していて、

深田晃司監督は仲野太賀さんについて、このように語っています。

自分にとってのいい俳優さんというのは、カメラの前でも普段と同じようにコミュニケーションが取れる方。

共演者から受け取って返すという、日常では当たり前のことがカメラの前でもきちんとできるという印象が太賀くんにはあります。

太賀くんをいつも起用させてもらうのは、俳優としてのセンスの良さと、演技の方向性が自分の中の趣味と合うっているからなんですね。

彼はすごくいい俳優で、相手の芝居を受けて反応するのがすごく上手い

 

現在、NHK大河ドラマ『いだてん』に出演し、この2年で出演した映画は10本以上という、注目を集める仲野太賀さん。今後の展望は?

自分がドキドキすることを30、40になっても、おっさんになっても、そういうドキドキと向かい合えたらいいなと思っていて。

この仕事の醍醐味はいろんな人と会えることだと思っているので。素敵な人と出会って、いろんな人と楽しいことできたらいいなって思います。

これからの活躍もとても楽しみですね。

仲野太賀の性格

仲野太賀さんは、マイペースに見られるが気にしいな性格で、自分の道を行くタイプの人に憧れるそうです。

次男坊で、割と人の顔を伺いながら、波風立たないように調和を保つことを心がけているそう。

好きとか自分の気持ちは素直に表現する方で、裏表のない人柄のようです。

また、凄く悩むタイプで、悩んで悩んで考えておけば、安心できるそう。

仕事に対する姿勢は、とても真面目で、体調に気を使って深酒は控えたり、体を温めて早く寝るなど体調管理はしっかりされるそうですよ。

 

10代の頃からの付き合いの二階堂ふみさんは仲野太賀さんを「懐の深い、信頼のできる方」と評しました。

インタビューを受ける様子からも仲野太賀さんは、とても誠実なイメージがありますよね。

改名の理由は?

仲野太賀さんは、今年6月24日にこれまで使われていた芸名「太賀」から改名しました。

本名の「中野」と、「『仲間』との出会いが俳優人生の財産である」と実感したことから「仲野」の表記を選んだと報道されていますが、これは実は後付けのようです。

芸名「太賀」にした理由は?

実は、仲野太賀さんの父親は、同じく俳優の中野英雄さんなんです。詳しくは、後ほどじっくりご紹介しますね。

中学2年時に芸能活動をスタートした時点で、父親や事務所の取り決めで、既に「太賀」の芸名で活動することが決められていたそうです。

仲野太賀さん本人も「父親とは別個で考えて欲しい」、「父親が中野英雄であることは隠したい」という思いがあったようです。

改名のきっかけは?

芸能活動が順調に進みはじめ、昨年の時点でこれまでとは違う波を感じていたそうです。これまで、親の存在をどこか負い目に感じてきたが、ちゃんと矢面に立つ意識でないと、この波に乗り切れないのではという思いがあったそうです。

そんな中、過去に共演した人との再共演の機会が増えてきて、何か自分を更新したいと考えたことが改名のきっかけに繋がったそうです。 

「中野」ではなく、なぜ「仲野」?

仲野大賀さん自身は、「中野 大賀」の並びが悪く、締まりが悪いと感じていたようです。

そこで、「中」に人偏をつけると、俳優っぽくなる画数も「中野」よりも良いこと、父親とも差別化できるという理由から、「仲野」にしたそうです。

「中野」にしなかったのは、私たちにはわからないような、本人の感覚的な理由が大きかったのですね。

もちろん、後付けとはいえ、「仲間との縁」を大事にしたいという気持ちは強くあるようですよ。

仲野太賀の家族構成

仲野太賀さんは両親と兄の4人家族で、不自由なく親の愛情を全面的に受けて育ったそうです。

仲野太賀さんの一番の原動力は家族というほど、大切な存在だそうです。

何かしてほしいというよりも、いてくれるだけでいい。どんな状況でも自分が何かをしたときに喜んでくれる人がいる、ってすごいことだし、そういう意味では父にも母にも感謝していますね」と語っていました。

では、一人一人ご紹介しますね。

父親は俳優・中野英雄 

本名    中野 英雄

生年月日  1964年12月22日

出身地   京都府京都市左京区

身長    172cm

血液型   A型

兄弟    妹

事務所   enjoy

学歴    杉並区立第一小学校

      杉並区立杉森小学校

      都立四谷商業高校中退

趣味    パチンコ・フュギュア・眼鏡収集・写真・水泳

特技    柔道・ハンドボール・腕相撲

中野英雄さんは、1985年に芸能界に入り、1992年に出演したドラマ『愛という名のもとに』チョロ役を演じ、人気が沸騰しました。

その後はコンスタントにドラマなどに出演し、映画『FILM FACTORY』では監督・脚本にも挑戦しました。

 

中野英雄さんの存在は、仲野太賀さんが俳優を目指したことに直接的な影響はないそうですが、

父親が俳優という家庭で育ち、周りにもそういう人しかいなったため、仲野太賀さんにとって、会社勤めはものすごく遠い世界で、圧倒的に芸能界の方が近かったのだそうです。

 

仲野太賀さんと中野英雄さんは、2005年に旅番組 『いい旅・夢気分 家族で行きたい!夏のおすすめ旅 6選』で親子で出演しています。

ドラマでの共演はまだありませんが、2007年4月に放送された、中野英雄さんがが監督・脚本に挑戦した短編ドラマ『FILM FACTORY チョコレートのある生活』に仲野太賀さんが出演しました。

 

中野英雄さんは、仲野太賀さんの出演作を全て見ていて、SNSで告知するなど、息子のことをとても応援していて、良い関係を築いているようです。

仲野太賀さんは、「親バカがひどくて…。もう完全に開き直ってますね。制御不能です(笑)」とコメントしていました。

母親は事務所経営者

仲野太賀さんの母親はは、一般人で「バグジー」という芸能事務所の代表者・中野多加美さんです。

バクジーこと株式会社バグジーヒーローズクラブは、東京都渋谷区にある日本の芸能事務所である。

元々は中野英雄の個人事務所の「有限会社バグジーヒーローズクラブ」として1996年3月に設立。その後徐々に所属タレントを増やし、元所属の森下千里のブレイク以降は女性タレントが多く所属するようになった。

Wikipedia

母親は、中野英雄さんの中学時代の憧れの先輩だったそうですよ。姉さん女房なのですね。

 

母親とはとても仲が良く大好きで、愛情もたくさん受けて育ったという仲野太賀さんは、甘えん坊で、超マザコンだそうです。

仲野太賀さんは、中学生の頃からこの仕事をしていたからか反抗期もなく、放任主義でのびのびと育ちました。

仲野太賀さんにとって母親は、母親が死んだら何かが崩れると思うような、根幹にある存在で、揺るがない基準だそうです。

仲野太賀さんは、母親とはよくコミュニケーションを取り、なんでも話しますが、特に干渉することもなく割と気楽な関係性で、母親は仲野太賀さんの出演作には関心がなく、ほぼ観ないのだそうです。

性格が似ていないからか違いがあって話していると面白いとのこと。

仲野太賀さんは、親子の理想の関係を築いているんですね。

ちなみに、おふくろの味はカチャトーラというイタリアの定番煮込み料理で、家に帰ると作ってほしいとリクエストするそうですよ。

兄は元俳優

7才年上の兄・中野武尊(たける)さんは元俳優で、引退後何をしているかはわかりませんでした。

中野英雄によく似ていますね。

過去には1998年のドラマ『先生しらないの?』、2000年の映画『東京爆弾』、2003年の映画『ベースボールキッズ』、2004年のドラマ『夜回り先生』に出演しています。

名前を検索すると、武尊というK-1ファイターが表示されますが、出身地が異なるため、別人だと思われます。

 

今回は、仲野太賀さんのプロフィールや改名理由、家族についてご紹介しました。演技の評価の高い仲野太賀さんの今後がますます楽しみになりました。

参考になることがあれば、幸いです。

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