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2019-12-18
最終更新日:2020/05/21

米津玄師|生い立ちやプロフィールは?イラストは母親とジブリの影響だった!

米津玄師の楽曲『Lemon』がとうとうYouTubeの再生回数5億回を突破しましたね。

今回は、米津玄師さんのプロフィールや生い立ちについて過去のインタビュー記事などをもとに調査したことをご紹介します。

米津玄師のプロフィール

本名    米津 玄師(よねづ けんし)

生年月日  1991年3月10日

出身地   徳島県 徳島市

身長    188cm

血液型   O型

兄弟    姉

事務所   REISSUE RECORDS

学歴    徳島市津田小学校

      徳島市津田中学校

      徳島県立徳島商業高等学校

      大阪美術専門学校

趣味    ゲーム・読書・音楽鑑賞

米津玄師の趣味

米津玄師さんの趣味はゲームで、コンピュータRPGのシリーズ作品『ペルソナ』が好きだそうです。

高校2年生の頃に発売された『ペルソナ4』は、夏休み期間中ずっとやっていたそうですよ。

読書も好きで、文字の響きを重視して本を選ぶといい、宮沢賢治や三島由紀夫や言葉が美しい詩集などが好きだそうです。

古本屋が似合いそうですが、本屋で探すのは面倒臭いといい、ネットで発注することが多いようですよ。

米津玄師の生活スタイル

米津玄師さんの生活は、創作活動が中心だといい、創作活動以外に時間をあてることはほとんどないようです。

それ以外は、読書やYouTubeを見るようですが、「生活≒創作」みたいな日常を過ごしているのだとか。

Twitterではこんな投稿もありました。

創作活動に没頭する人生なのですね。

米津玄師の名前の由来

米津玄師さんの名前は、芸名のように思えますが、本名なのだそうです。

米津玄師さんが保険証を自身のTwitterに投稿し、証明しています。

名前の由来については、「親に確認したことがないので自分でも不明。」なのだそうです。

今すぐ親に確認してほしいですね。気になります…。

「米津」という苗字は、個人的に聞いたことはないのですが、全国に5,900人、米津玄師さん出身の徳島県では200人いるようですよ。

米津玄師の生い立ち

幼少期

米津玄師さんは、身長188cmと大柄な体格ですが、生まれた時から4,500gと普通よりは大きかったようです。

美術教員の免許を取得していた母親の影響なのか、小さい頃から絵をたくさん描いて過ごす物静かな少年で、漫画家になるのが夢だったそうですよ。

小学5年生の時に観たジブリ作品『千と千尋の神隠し』に衝撃を受け、どうしたらこの世界観が描けるのだろうと、宮崎駿やジブリの関連本を読み漁ったこともあるそう。

アルバム『BOOTLEG』(2017)の収録曲『飛燕』は『風の谷のナウシカ』からインスピレーションを受けた曲だといい、ジブリ作品からは多大なる影響を受けているようです。

音楽に興味を持ち出したのは、小学3年生の時に流行した『だんご3兄弟』がきっかけで、それまでは音楽はあまり聴かない生活だったそうです。

ミュージシャンの幼少期の話を聞くと、両親が音楽好きで家に音楽が当たり前のように流れていたという話をよく聞くので、意外ですよね。

米津玄師さんの音楽の根底には実は『だんご3兄弟』があるようです。

また、米津玄師さんは高機能自閉症のため、幼少期からコミュニケーションが苦手で、孤独を強く感じていたそうです。

小学校高学年で担任だった先生は、顔も覚えていないといい、米津玄師さんは引きこもり気味だったのだそうです。

同じ小学校の子が卒業アルバムを見て、初めて同級生と気づくぐらいおとなしい子だったのだとか。

中学時代

中学2年生の時に、幼馴染みとバンドを組み、曲を作り始めた米津玄師さんは、そのころから「プロになりたい」という思いが芽生えていたそうです。

中学時代は当時流行していたアジアンカンフージェネレーションなど邦楽バンドの曲をよく聴いていたそう。

当時の同級生曰く、米津玄師さんは昔から雰囲気は変わっていなくて、前髪で目が隠れるような髪型で、教室で宮沢賢治の本を大人しく読むような少年だったようです。

部活動はテニスをやっていたそうですが、これ以降は特に運動はしていないようです。

高校時代〜専門学校時代

高校へは、よくギターをかついで自転車通学をし、昼休みはイヤホンつけて、いつも音楽を聴いていたそうです。

高校の文化祭では、同級生3人で作った『Toy Circus Show』というバンドを率いて、ライブハウスなどでも演奏していたようです。

演奏した曲は、全てオリジナルで、高校生のレベルじゃない完成度だったのだとか。

ライブハウスの店長は、

「行動からして、プロミュージシャン志向。社交的な性格じゃないから、友達を呼ぶこともほとんどなくて、観客ゼロくらいの日もあったけど、めげない芯の強さがあった。

彼を知る同世代の地元バンドマンは、口を揃えて『自信家だった』と言いますね」と話しました。

一方、米津玄師さんはバンド活動をするも楽しいと思えず、家に籠ってひとりで音楽を創作するようになったそうです。

「それで、インターネットに逃げたっていうと、言葉が悪いんですけど、そのほうが楽かなって軽い気持ちで始めた創作活動が今に通じていたりするんです。

それに、僕はディスコミュニケーションから創作意欲を見いだしているところもあるんです。

高校卒業後は、専門学校に進学しますが、モンハンや卓球をするなど遊んでばかりいたといい、1年も経たず退学しています。

米津玄師の歌手活動

2009年から「ハチ」という名義で約30曲程度の本人歌唱のオリジナル曲をニコニコ動画などにて投稿を開始

「結ンデ開イテ羅刹ト骸」「マトリョシカ」「パンダヒーロー」など様々な楽曲がミリオン再生を達成

2012年5月には“米津玄師”名義で自らが全曲ボーカルを務めた初のアルバム『diorama』をリリースしました。

このころ、「ハチ」の名は業界の中で知れ渡り、そのままの名義でも数万枚のセールスは確約されていましたが、

米津玄師さんは、『死守せよ、だが軽やかに手放せ』という演出家であるピーター・ブルックの言葉を元に、新しい場所に行くために、自分をさらけ出したほうがよいと判断したようです。

2013年のメジャーデビュー後は、数々のヒット作を生み出していきます。

2014年『アイネクライネ』は、『ショートショートフィルムフェスティバル&アジア2014 ミュージックShort部門シネマチックアワード』にノミネート。

とても優しい色使いのイラストですが、これは米津玄師さんが描いたものです。全て一人でこなしてしまうなんてすごいですよね。

こちらは、2017年にDAOKOさんとのコラボ曲『打ち上げ花火』です。

アニメの主題歌に用いられ、『第32回日本ゴールドディスク大賞 ソング・オブ・ザ・イヤー・バイ・ダウンロード 邦楽部門』を受賞しました。

夏特有の切なさを感じる曲ですよね。

そして、2018年に発表した『Lemon』は、TBSテレビドラマ『アンナチュラル』の主題歌として使われ、『Billboard JAPAN Hot 100 of the Year 2018』など、数々の賞を受賞しました。

2018年の大晦日には、この曲で米津玄師さんの地元・徳島からの生中継で紅白に出場しましたよね。

出場した理由は、大晦日に亡くなった大好きだった祖父が生まれ育った徳島の地で歌うことに意味を感じたからだそうですよ。

2020オリンピックの応援ソング『パプリカ』の楽曲提供もされましたよね。米津玄師さんの歌声と優しいイラストもとても素敵です。

2019年の紅白には、『パプリカ』を歌うFoorinと、同じく米津玄師さんが楽曲提供した『まちがいさがし』を歌う菅田将暉さんも紅白出場が決定しました。

2020年には、嵐とのコラボが予定されており、今後の活躍もますます楽しみですね。

今回は、米津玄師さんのプロフィールや生い立ちについてご紹介しました。参考になることがあれば、幸いです。

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